脱線三国志

横山三国志のあらすじに沿いつつ、脱線しまくりながら三国志を解説します。

十常侍

こんばんは!
陳羅です。


今夜も早速あらすじを・・・。


劉備が張宝を撃破したという知らせは朱儁のもとにももたらされます。
(でも、幕僚が報告している内容をよく読んでみると「劉備殿は・・・奇襲しました・・・そして(黄巾軍は)山火事に巻き込まれて全滅したそうです」みたいなことを言ってます。劉備は奇襲したけど、全滅したのは山火事のせい。恐るべし山火事・・・。)


朱儁が驚いているところに、曲陽から「董卓と皇甫嵩が黄巾軍を全滅させた」との連絡が入ります。
それを聞いた朱儁はタイミングよく劉備に出会えた幸運に感謝するのでした。


その後、司令部で催された酒宴の席で、朱儁は官軍の大勝利を宣言し、劉備は戦争の終結と平和の到来を喜ぶのでした。


翌日、都(洛陽?)に凱旋した官軍の中には、董卓、皇甫嵩(あ!絵あった!)、朱儁、曹操らの顔が見られましたが、義勇軍である劉備らは場内に入ることはできず、城壁の外から遠く花火を眺めることしかできないのでした。


さて、劉備が沙汰を待っていると、かつて盧植の部下であった張鈞が馬車で通りかかります。
そして劉備に何の沙汰もないことを訝った張鈞は、皇帝に拝謁すると、十常侍の排除と劉備の登用を進言します。
しかし、そこへ十常侍が現れ、張鈞を連れ去ると、ナイフのようなもので腹を刺し、殺してしまいました。


張鈞の言葉が気になった皇帝は十常侍に劉備に関する再調査を命じます。
その結果、劉備のもとに勅使が訪れ、彼を安喜県の警察署長に任命します。
命を受けた劉備は義勇軍を解散すると、任地へと赴くのでした。


※今回の劉備の旅(潁川から洛陽へは歩いて5日ほど。曲陽からの急使は普通に歩いて17日ほどかかる距離をやってきた。)


とうとう黄巾の乱は終結しましたが、帝国の行く末は暗いです。
物語で登場する十常侍は実在の集団で、張讓、趙忠を中心とした12人に宦官達です。

彼らは中常侍という役職を持ち、皇帝の身の回りの世話をするのが本来の任務でしたが、常に皇帝のそばで仕えたため、次第に権力を持ったのでした。
元はそうではなかったようですが、この時代、中常侍は宦官に占められていました。
これは後宮の女性達(皇帝の側室)との間で間違いを起こさないためですが、皇帝の側からすると、子孫を残さない宦官に権力を与えても、その権力は一代限りという安心感からか、次第に彼らの権力が高まっていったようです。

他の時代を見てみても、宦官が政治を乱す例は多々ありますが、逆に誠心誠意主君に尽くす忠義の宦官も多く、宦官=悪という図式の成立には、人々の差別的な意識も影響していると私は考えています。
何しろ、当時(他の時代にも)皇帝に仕えた宦官は数千人に及んだのですから、良い人もいれば悪い奴もいたわけです。


さて、ここまでの話は、大部分が吉川栄治の創作なのですが、劉備が義勇軍を率いて黄巾党と戦い、その功績から安喜県の尉(警察署長)に任命されたのは史実の様です。
ただ、涿郡のある幽州は黄巾の乱の最前線というわけではありませんので、ここからは私の想像ですが、冀州方面の司令官であった盧植、董卓、皇甫嵩のいずれかが、幽州への黄巾党の浸透を防ぐことを目的に鄒靖の部隊を派遣し、そこで劉備らが現地採用されたのではないでしょうか。

安喜県は北京の南南西150キロほどのところで、劉備の故郷涿県からは歩いて2日強とほど近いところにありますが、こちらは冀州になり、より黄巾党の本拠地に近いです。
前任の県尉は黄巾の乱の影響で罷免されたか殺されたというのは、考えすぎでしょうか?


では、今日はここまで。。。

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