脱線三国志

横山三国志のあらすじに沿いつつ、脱線しまくりながら三国志を解説します。

可進将軍の死

こんにちは。陳羅です。。。


なんだかんだで丸々一週間空いてしまったら、一瞬自分の名前さえ忘れていました・・・。
頑張ろう・・・。


というわけで今回からは、あらすじはざっくり目で行こうと思います。
ぶれると思うけどね。


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前回、十常侍の蹇碩以外のメンバーを殺さないであげた可進でしたが、皇太后を殺したのが可進だという噂を十常侍がばらまいていると知り、またしても激怒して兵を集め始めます。
が、やはり妹の可大后(霊帝が死んだので皇太后になった)に説得されて翻意してしまいます。
すると、今度は部下の袁紹に叱られ、各州の英雄に手紙を書いて呼び集めることにしました。
いったい、この人には自分ってものがないのか・・・。


しかし、董卓ら各地の英雄が集結しつつある中、焦った十常侍は可進将軍を可大后の命と称して呼び出すと、弓矢で射殺してしまったのでした。
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むう、困った。
今回は書くネタがない。


では、なぜこのように宦官が権力を持つに至ったのか、簡単に語りましょう。
その前に、以下の一覧を見てください。


光武帝:31歳-63歳
明帝:30歳-48歳
章帝:19歳-33歳
和帝:9歳-27歳
殤帝:100日あまり-翌年崩御
安帝:13歳-32歳
少帝:不明-即位の年に崩御
順帝:10歳-30歳
冲帝:2歳-3歳
質帝:8歳-9歳
桓帝:15歳-36歳
霊帝:13歳-34歳
少帝(劉弁):17歳-即位の年に廃位
献帝(劉協):9歳-40歳(曹丕に譲位)


これは、後漢の歴代皇帝の在位年齢です。
見ていただいてわかる通り、初代と二代目、そして末代を除けば、みんな若く(幼く)して即位し、良くとも30代半ばごろには崩御しているのです。


皇帝が幼ければ、力を持つのは外戚です。
外戚というのは、母方の親戚のことですね。
後漢では、竇憲、鄧隲、閻顯、梁冀といった外戚が力を持ってきましたが、いずれも宦官の力を得た皇帝による逆クーデターや、宦官による自発的なクーデターにより粛清されています。


つまり、後漢の歴史は、宦官と外戚の戦いの歴史なのです。
そして、それらの戦いは、いずれも皇帝のそばにあって皇帝個人に忠誠を誓っていた宦官側の勝利に終わり、そのたびに宦官の力は強くなっていったのです。
可進も外戚ですが、彼の場合、すでに宦官の力は強くなりすぎており、まず宦官から権力を取り戻すところから始めようとしたところ、あっさり殺されてしまったわけです。
宦官達にしてみれば、自分たちの先輩が、これまでそうやってきたので、今回もうまくいくと思ったのかもしれませんが、すでに力を持ちすぎていたがゆえに恨みも買っており、可進に与するものも多く、結局暴走した袁術らによって皆殺しにされてしまいます。


こうして、外戚と宦官の争いは、相討ちでみんな死ぬという結果に終わり、そこに発生した権力の真空状態に何の法的根拠もない董卓が飛び込んだことにより、帝国の権威は失墜し、400年にわたる分裂の時代である魏晋南北朝の時代が幕を開けるのでした。

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