脱線三国志

横山三国志のあらすじに沿いつつ、脱線しまくりながら三国志を解説します。

黄巾賊の乱

はじめまして。
三国志大好きな陳羅と申します。よろしくお願いします。

まずは横山三国志の記念すべき第一話「黄巾賊の乱」から解説していきたいと思います。

まずは、あらすじです。
物語は今から1800年ほど昔、主人公(の一人)である劉備が黄河を眺めているところから始まります。
彼は、母への土産ものとして高価な茶葉を手に入れようと、洛陽からの船を待っているところでした。
やがて船が来て、目的の品を手に入れた劉備が宿で休んでいると、夜中に宿の主人が駈け込んできます。
町が黄巾党の襲撃を受けたのでした。
主人の計らいで裏口から逃げだした劉備でしたが、不意に現れた黄巾党の武将、馬元義にとらわれてしまいます。
劉備に見どころがあると見た馬元義は、黄巾党の成り立ちとその指導者である張角について語り、黄巾党への入党を勧誘するのでした。

さて、物語の最初というのはいろいろと背景というか、前提を説明しなければなりません。
舞台は後漢の中平元年、西暦にして184年の中国のどこかです。
劉備のセリフに「涿(たく)県の者です」というセリフがあるので、おそらく涿(たく)郡のどこかでしょう。
(※涿(たく)郡の中に涿(たく)県があるのです。郡県については後述します。)


涿(たく)というのは、現在の北京から30kmほど南西に行った辺りです。
北京と言うと現代的には中国の中心都市という印象が強いですが、当時の感覚としては北東の端っこの方で、国境の町として重視されていたといいますから栄えてはいたと思われますが、現代日本で置き換えるなら札幌といったところでしょうか?


当時の中国では「郡」が基本的な地方行政単位で、その配下に「県」があります。
郡の長官は太守で、県の長官は県令ですが、まれに郡と同じ規模の「国」というものがあります。
これは、漢の皇族が王として封ぜられた領地のことですが、実際に皇族が現地に赴任しているわけではないので、実質的に郡と同じです。
長官は形式的に王ですが、実際に統治しているのは「相(しょう)」で、太守と同等の権能を持ちます。
当時の中国には郡と国を合わせて100個ほどがあり、それぞれの人口は数万人から100万人ほどで、ちょうど現代日本の市に相当する規模です。
郡の上位には州というのもありますが、それはまたいずれ・・・。


それにしても、西暦184年といえば、日本はまだ卑弥呼時代(またはその前の倭国大乱期)。
文字も知らず、衣服は貫頭衣という頃です。
先進国であった中国のこととはいえ、そのあたりの背景を念頭に入れて読み進める必要があります。


さて、長く脱線してしまいましたが、もう一つだけ触れておかなければなりません。
馬元義についてです(笑)
横山三国志(というよりその原作ともいうべき吉川三国志)の中では、現場の一指揮官といった風情の馬元義ですが、実際には最高指導者である張角の側近でした。
彼は帝都洛陽に潜伏して蜂起に向けた工作活動を行っていましたが、部下の裏切りにより計画が暴露され、車裂きの刑に処せられてしまいます。
これに激怒した張角が十分な準備なしに蜂起したことで、黄巾の乱が始まるわけです。


最後に、よく「黄巾賊」という言い方をしますが、これは後漢の立場から呼び名です。
ですから、本文中では作品からの引用や特に必要な場合を除き、中立的に「黄巾党」で統一しております。


【参考】涿郡は多分この辺

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