脱線三国志

横山三国志のあらすじに沿いつつ、脱線しまくりながら三国志を解説します。

芙蓉姫

こんばんは。
陳羅です。


本日は第二話、芙蓉姫です。
まずはあらすじから。


馬元義の勧誘に表向き同意した劉備でしたが、直後に合流した黄巾党の部隊長から「洛陽船に茶を求めた若者」の情報がもたらされると事態が一変します。
何でもその若者は「みすぼらしいけど気品がある」という特徴的な風貌であり、あっという間に劉備のことであるとばれてしまったのです。
激しい拷問の末に、張角への貢物としてお茶を奪われた劉備は、近くにあった石堂に閉じ込められたうえ、「明日になればお前の処分も決まる」と告げられます。
しかし劉備は運よく近所の老僧の手によって助け出され、老僧がかくまっていた領主の娘、芙蓉姫をとともに脱出を試みます。
老僧は塔の上から二人を導くと、身を投げて死んだのでした。


さて、「みすぼらしいけど気品がある」というわけのわからない特徴を指摘された劉備ですが、実際にかなり特徴的な風貌だったようです。
まず身長は七尺五寸(約173cm)とされ、わざわざ書いてあるほどだから、きっと当時としては大柄だったのでしょう。
また、手が膝に届き、自分の耳を見られたといいます。
手が膝に届くというのは、腕が長いという意味だと分かりますが、自分の耳を見られたというはなんでしょうか?
三国志の小説版である三国志演義によれば、「目は自分の耳を見られた」という表現がありますので目が大きかったと解釈できますが、歴史書である三国志では「振り返ると自分の耳を見られた」とあり、どちらともとれません。
ここからは私の意見ですが、目の大きさを表現するのに、わざわざ自分の耳が見られたなどというでしょうか?
目の大きさを強調したければもっと別の表現があるはずです。
ですから私は、昔から劉備は耳の大きい人だと思っているのです。


三国志と三国志演義の話が出てきましたので、あまり物語が進む前に、ここらで三国志の成り立ちについて触れておきたいと思います。
本来、単に「三国志」といった場合、それは晋の時代の官僚であった陳寿という人が執筆した歴史書である三国志を指します。
この三国志は紀伝体という同時代に活躍した人物の伝記を集めたような形式の歴史書で、私は読んでみたことがあるのですが、いろいろな出来事が各人物の視点で断片的に記されているせいか、ちっとも歴史の流れを把握することができませんでした。
もっともこれは歴史書であり、学者の研究対象になるようなものですから、われわれ一般人にとって読みやすくないのも当然かもしれません。
庶民の読み物として広く人気を博したのは、この歴史書ではなく、羅貫中という明の時代の作家が執筆した小説「三国志演義」です。
この小説は大変人気があり、多くの人がこれを読んで三国時代について学んだため、小説に散りばめられた羅貫中による創作を、歴史的事実と誤認してしまう現象まで引き起こしています。
さて、私たちが今読んでいる横山光輝の三国志は、この三国志演義をマンガ化した物でしょうか?
答えはNoです。
実は、この名作歴史マンガが生まれるためには、もうワンクッション挟まなければなりません。
それが、吉川栄治の三国志です。

これは単に三国志演義を日本語訳したものではなく、現近代の日本人向けに大胆なアレンジが加えられたもので、物語を彩る様々な創作が追加されています。
たとえば、物語冒頭の劉備が茶を求める話や、芙蓉姫を救出する話などは、吉川栄治による創作なのです。
つまり、冒頭から今回の部分まで、実は完全に和製三国志なのでした。
さて、この吉川三国志をマンガ化したのが横山三国志なのですが、この連載が始まった1971年当時は、まだ日中国交正常化前で、当時の風俗を示す資料が手に入りづらく、かなり苦労があったようです。
たとえば当時の主力兵器は弩という現代でいうところのクロスボウのような武器で、三国志演義にも頻繁に登場するのですが、これがどのような武器でどう使うのかが分からず、やむなく弩が登場する場面をすべて普通の弓で表現したというようなことがあったそうです。


さて、ずいぶん長くなってしまいました。
まだまだ書きたいことが沢山ありますが、今日はここまでとさせていただきます。

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