脱線三国志

横山三国志のあらすじに沿いつつ、脱線しまくりながら三国志を解説します。

乞食部隊

あるとき劉備が自宅近くで作業をしていると、またしても唐突に張飛が現れ、作業を手伝い始めます。
時期が来たらと約束していたはずですが、その日まで下男として働くと言い張ります。
困惑する劉備でしたが、さらなる面倒事が彼を襲います。
当局の捜査員が大挙して大量殺人犯である張飛を逮捕しに来たのです。
すわ、乱闘騒ぎかと緊張が走ったのもつかの間、完全武装の関羽が乱入し、事態を収拾します。
彼は卓抜した演技力と弁舌で捜査員たちを丸め込むと、最後は脅迫でもって彼らを追い返してしまいます。
事態を呑み込めない張飛に対し、劉備に仕えるため自宅を売却してはせ参じたと告げる関羽。

さらに困惑した劉備は、とりあえずお母さんに相談することにしました。
しかし、この日のことを待ちに待っていた劉備の母は、早速酒宴の支度を整え、劉備に決起を促します。
劉備、関羽、張飛の三人は、この席で義兄弟の契りを結び、決意を固めたのでした。

翌朝、たまたま通りがかった張世平とその甥の蘇双からお金と馬を借り、噂を聞きつけて集まった人々とともに義勇軍を結成した劉備は、黄巾党との戦いに向け出発したのでした。


今回のヤマ場は桃園結義の場面ですね。
もちろんこのくだりは創作によるものなのですが、私はこういったエピソードがあまり好きになれません。
つい最近出会ったばかりの三人が、意気投合して、「生まれた日は違っても、死ぬときは同じだ!」と酒の席で約束したからといって、誰がその約束に特別な意味があると思うでしょうか?
彼ら三人の絆は、一時の酒の席での約束によってできたのではなく、長い戦いの日々の中で徐々に出来上がったものであると私は信じています!
まあいずれにせよ、劉備は黄巾党の乱に臨んで、関羽、張飛らとともに決起し、これが彼の長い戦いの旅の始まりだったのです。


さて、どこの馬の骨とも知れない劉備に大金を投資した張世平と蘇双ですが、これは実在の人物です。
物語の中で語られている通り、中山国の豪商で、劉備の素質を見抜いて大金を与え、この金で劉備は仲間を集めることができたといいます。

劉備の話をもう少ししましょう。
劉備が庶民の出身ではなく、有名な学者である盧植に学び、後に武名をとどろかせる公孫瓉(サン)と友人であった話は以前にしましたが、実は彼は幼少の頃より野心が高く、大人になったら皇帝になりたいみたいなことを言っておじさんの劉子敬に叱られたことがあるほどです。
また、ファッションは派手好みで、乗馬、闘犬、音楽が趣味だったといいます。
性格は、無口で控えめ、喜怒の感情を表情に出さなかったといいますが、行動を見ると過激な復讐に走ることも多く、逆にコワいです・・・。
漫画ではやさしい好青年といった印象の劉備ですが、歴史書の記述だけ見てみるとヤクザみたいな人物であったことが分かると思います。
でも、そうでもなければ、何の足がかりもなく乱世で台頭し、最後は皇帝を名乗るほどの大成功を収めることなどできないのではないでしょうか?

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